西陣界隈

西陣界隈のこと

ガッチャンガッチャン…….今日も裏から機を織る織機の音が聞こえてきます。 近所のお宅の玄関を開ければ、すぐそこに整経の機械が動いていたり、糸枠が床から天井まで積まれていたり、玄関には織り手募集の 張り紙が貼られていたりしています。西陣でも、もう少し東の方に行くと、大店の織物会社が多いのです が、この界隈は、何十工程にも分かれた繊維産業の分業の一端を担う家内工業の家が多いのです。90歳にして現役でつづれを織るおばあさん、歌舞伎の文様や 袈裟を織るおじいさん、「機の音しいひんようになったなあ」とあいさつが交わされる昨今ではありますが,それでもまだ,多くの人が糸へんの仕事にたずさ わっているのが西陣テラの界隈です。
まわりには、お寺が多く建ち並びます。秀吉の時代に、その勢力を管理しやすいようにお寺を集めたのだと聞きますが、いろいろな宗派のこじんまりとしたお寺 が隣り合って並んでいます。大晦日の夜になると、年が変わる頃に、あちこちから除夜の鐘の音が輪唱のように響いてきます。普段の日にも,托鉢の読経の声が 路地に聞こえてきます。何人もの若い修行僧の読経の声の響きと,近所の犬の遠吠え,ガラガラと玄関を開け閉めする老人の姿が見受けられる普段着の街です。

西陣テラのある場所

この辺りは平安時代に御所の内裏があった場所です。現在の御所は後年東に移されたもので,もともとはこの界隈に御所がありました。テラ最寄りのバス停のある千本通は,平安時代のメインストリート、朱雀大路です。バス停の少し南に,大極殿跡の石碑が建っています。

そして,西陣テラのあった場所はと言えば,まさに、平安京の図書寮跡なのだそうです。これは、以前埋蔵文化財研究所がうちの駐車場を発掘調査して文書 を残していかれたので、確かなことと思います。図書寮と言えば,都の古文書をつかさどったところであり,古文書のための造紙をつかさどったところです。近 くには今なお紙屋川という川が流れていますが、この近くに平安京の紙屋院があり,ここで実際に平安京の紙が作られていたと言われています。
平安京の文書と紙漉きをつかさどった図書寮が、現在の西陣テラの所在地だなんて,ちょっと運命的なものを感じませんか?私は実は運命の糸に導かれて,来る べくしてこの地に来たのかなあ(ここはもともと夫の生まれ育った家ですが)、なーんて、勝手に深い縁を感じている次第でもあるのです。

水上勉先生と五番町

水上勉先生と初めてお会いした時,住まいを聞かれて住所を告げると,先生はとても驚かれました。西陣テラのある自宅のある場所は,水上先生ゆかりの五番町 から歩いて数分のところです。「あそこは僕に取って青春の遊興の地だよ。あそこに君は住んでいるのか?」と先生は目を丸くしておっしゃいました。
今でこそ面影はほとんど薄れてしまいましたが,私が住み始めた頃には,五番町にはまだ遊郭の面影を残す家が何軒も建っていて,ステンドグラスのはいった街灯や、遊女が逃げ出さないように?と組まれた手すり、やり手ばあさんが客引きをした縁台なんかが残っていました。
私は自転車に乗って,今日のご飯のおかずを考えながら,五番町の前を通って,ふと『五番町夕霧楼』の妄想の世界に引きずり込まれ たりしていたのです。
私が水上先生と出会って,竹紙の世界に入り込み,この西陣の地で紙屋をすることになったこと。やっぱり不思議な縁と言うか,運命の導きか….とも思いつつ。