日々のお話」カテゴリーアーカイブ

CD発売されました!

昨年清滝テラで蛍ライブをしてくださった村田聡さんのライブ時のピアノ演奏が、CDリリースされました!
村田さんは、清滝奥にある空也の滝で滝行しながら作曲とピアノ演奏を続けているピアニストです。
今回のCD内容は、江崎満さんの展覧会にコラボして行われたテラでの蛍ライブそのものです。ライブは、あの時、あの会場で、あのメンバーだからこそ生まれた、偶然のようでありながら必然だったとも思われる即興演奏で、皆の心に深く残るものでありました。

ジャケットは江崎さんの作品、野の花漢字図です。
そんな音楽の誕生に立ち会えたことを、とても嬉しく思っています。下記に購入できるサイトも載っていますので、ご関心ある方は覗いてみてくださいね(テラ小林にお尋ね頂いてもOKですよ)。

初仕事

今年の初仕事、京都精華大学にて竹紙の講義。

竹紙のレクチャーをして、竹紙を渡し、学生たちはこれから照明の製作にかかります。月末には作品が出来上がるそうなので、また完成時には合評会に参加させてもらう予定です。


竹紙への思い、伝わったかな?

 


(ついでに家の中がきれいに片付いたので、ちょっと写真を撮ってみました)

2017年新年の初めに

あけましておめでとうございます。
年末は、大掃除、餅つき、おせち作り、除夜の鐘つきなど、恒例行事に追われまくってふうふう言っておりましたが、年が明けてみれば、穏やかな正月です。
95歳年女のおばあちゃんから23歳年女のニューフェイスまで、家族揃って手作りの白味噌雑煮とおせち料理をいただきました。
おせち料理も一旦作ってしまえば、3が日はあれこれ考えずそれを食べ続けていれば良いということで、案外便利にも思えます。
近くの北野天満宮に初詣に行った後は、3が日のんびり過ごします。

ここ数年恒例になった手作り白味噌も美味しく仕上がりました。

 

 

年末のお餅つきの時のこと、ハッとしたことがありました。縁側で搗いたお餅を丸めていたのですが、餅箱の重ねようが悪く、何個かの小餅がつぶれていたのです。「ああ、こんな置き方して、せっかくのお餅つぶれてるやん」とわたしがくどくど文句を言っていたところ、来ていた6歳の女の子がそれを見て、きっぱりこう言いました。「そんなんまた作ればいいだけのことやん」。
いやいや目が覚めました。はい、その通りです。「また作ればいいだけのこと」を、私は何をぐずぐず言っていたのでしょう。
失敗したらやり直せばいい。物事では10か0だけではない。5からでも1からでも、また積み重ねていけばいいのでした。

今年はもっと気持ちに余裕を持って、おおらかに日々を送っていくことにしましょう。「失敗したら0になる」のではなく「またやり直せばいいだけのことやん」と思いながら。


みなさま、今年もよろしくおつきあいのほどお願いいたします。

師走です

今日からはや12月となりました。

11月は紅葉もあって慌ただしい日々でしたが、正月までの支度も少しずつ。

夏じゅうお世話になった網戸を洗って片付け、

干し柿と柿酢を作り、

お正月用の白味噌を仕込みました。

どれも時期を逃すとできないものなので、季節に追われるようにして、やるべきことをしています。

そして、これまた年末恒例の「竹紙干支はりこ」も出来上がってきています。

来年2017年は「酉」年です。これまで飾られてきた「申」も少し肩身が狭くなってきたようで、、、

はりこ購入ご希望の方は、西陣テラ、または清滝テラにて販売中です。ご遠方の方にはご送付もしています。

価格1500円+税=1620円 送料200円+ です。

ことばの勉強会

今年も苅谷夏子さんをお招きして、「大村はま先生に学ぶことばの勉強会」を行いました。
今年は大村はま先生が実際に行なわれたのと同じ授業をみなでやってみましょうと、苅谷ー先生役、私たちー生徒役で授業が始まりました。

苅谷さんに選んでいただいたのは「驚く」ことばの授業でした。

「びっくりする」「はっとする」「どきっとする」「息をのむ」「腰を抜かす」「肝を潰す」など、驚く言葉はいろいろあります。
いろいろなことばの違いを考えるのかなあ?でも、わかるようでいて違いをことばで説明するのは難しいなあ?当たったらなんと答えようかなあ?などと考えていましたが、大村授業の(今回の先生は苅谷さんですが)流れはちょっと違いました。
たくさん書き出された驚くことばの中から、好きな(気になる)言葉を選び、そのうちの一つを使う場面の文を作ってみましょうというのです。

ことばを分類的に考えるのは難しくても、驚くシーンを考えるのは、そう難しいことではありません。誰もがみな持つ驚いた経験やその時の状況を思い起こして、あらかじめ書き出された驚くことばのどれかを使ってみるのは、誰にとってもスムーズな作業だったと思います。

そして、それぞれが書いた文章の前後の場面描写から、この人はどんな「驚く」ことばを使ったのか、「ドッキリ」だったのか、「ぎくっと」だったのか、「ギョッとした」だったのか?「このことばはこのシーンにはちょっと違うな」「ぎくっとには何か後ろめたさが感じられるかも」など、具体的な場面を一緒に辿っていくのです。すると、難しく考えずとも、ことばはいつの間にか絞り込まれ、かなり具体的に見えてくるものがあるのでした。

ああ、そうか、ことばは辞書のようにならんでいるものではなく、生きていて、その状況や場面や思いの中で使おうとした時、自然と一番ぴったりしたことばが出てくるものなんだなあ、大村先生は、それを導き出す授業をしていたんだなあ。そして、そうした小さな訓練の積み重ねの中で、語彙は増え、ことばに関する感性は磨きだされていくものなのだなあ。

誰もがスルッと楽しく入り込めて、それでいて確実に得られるものがあるような、不思議なマジックショーのように感じられる授業でした。

ことばをめぐっては、いろいろな角度から、いろいろ考えたいこと、話したいことがたくさんあり(実際個性的な面々からいろいろな話や言語や歌も出て)、いつも尽きせぬ気がするのだけれど、この日の授業では、人に想いを伝えるために一番的確なことばを選ぶ、その基本練習を見事にさせてもらった、そんな気がしました。

みなさんとともに「ことば」とまじめに向き合った、楽しい貴重な1日でありました。

紀伊国の手しごと作家たち、帰ってゆきました

展覧会が終わると、ホッとすると同時に寂しい気持ちになります。
がらんとしたテラの空間には、にぎやかだった作品や人の余韻だけがのこっていて、ふとした時に、声や笑顔がよみがえってくるようです。
そんな残像や火照りをさましつつ、ほったらかしになっていた家の仕事や歌人の世話や、たまってしまった事務仕事を片付け、そうこうするうち、また次の展覧会へと向かうことになります。

オリンピックの熱戦を見ながら

連日深夜のオリンピックを観戦していて、寝不足の日々が続いているが、このあとに続くパラリンピックも楽しみにしている。
今年はいつもにもましてエールを送りたい理由があるー。なぜなら、ちょっと縁のある選手が出場するはずだから。

話はもう25年以上前のこと、少し長い話になる。

京都に来て間もない私は、知る人も少なく、この地でどう生きていくのか模索中だった。
なにせ、夫以外に関西に知り合いは誰もいなくて、その夫も当時はずっと東京で仕事をしていた。私は夫の実家で義父を看るべく、幼い子供2人と2匹の犬を連れて東京から引っ越して来て、まもない状況だった。
ある日、北野天満宮前の喫茶店に入って一息ついていると、ふと1枚の紙に目がとまった。「英会話教えます」。
店にいた若い女性に聞いてみると、彼女の夫君がイギリス人で、英語を教えてくれるのだと言う。時間にもゆとりがあったし、この際、英語ももう少ししゃべれるようになるといいかもと思い、週に1度の英会話の家庭教師をお願いした。

気持ちの良いイギリス人青年で、英会話はもちろん、イギリスの文化や風習、ものの考え方なども教えていただき、あれこれ話した。はっきり覚えていないが、1年かもっと長く続けただろうか?

そのうち、私は琵琶湖岸に新しくできるという博物館(琵琶湖博物館)の開設準備の仕事につくことになり、英会話の勉強は途切れてしまった。
さらにそれから何年かして、寺町通の町家でテラを始めることになり、仕事にも加速がかかる日々となった。

そんなある日のこと、テラに、イギリス人の英語の先生と喫茶店にいた日本人の奥様のご夫妻が訪ねて来てくれたのだった。たしか、テラを始めたことが新聞記事になり、その記事を見て来てくれたのだったと思う。久方ぶりの嬉しい懐かしい出会いだった。
お二人にはお子さんが生まれていて、幼い少女がテラの2階を小走りに元気よく走っていたのをよく覚えている。実はそのとき、彼女のTシャツから出た腕が片腕であることに気づき、ハッとしたのだが、私もご夫妻もそのことについて話すことはなかった。

それからお二人、いや三人とは会う機会がないまま、長い日が経つこととなった。でも、彼女たちのことは、心の中に残っていて、どうしているかなあと思うことが時折あった。

そして、それから15年以上が過ぎた今年、新聞やネットのニュースで彼女の近況を知った。
彼女はスイマーになっていたのだ!
高校、大学と活躍目覚ましく、19歳の現在、個人メドレー、自由形短距離など、いくつかの種目で日本記録保持者となっているらしい。名前を見て、きっと彼女に違いないと思っていたところ、リオのパラリンピック代表選手としても選出されたことも知り、秘かにドキドキしていた。
ご両親が伸びやかに彼女を育て、彼女もそれに応えたのだろうと思う。

さらには、今、彼女はテレビのCMにも登場している。
「イチローが嫌いだ」という印象的なナレーションで始まるトヨタのCM、見たことある方も多いかと思うが、オリンピックアスリートが登場するいくつかのパターンのひとつに、彼女が泳ぐ姿が登場しているのだ。

一ノ瀬メイさん、19歳。
テレビの向こう側から、地球の反対側から、遠いながらも不思議な縁を感じながら、力強く応援しています!がんばれ!!

トヨタのCM

http://toyota.jp/wows/special/sports/ichinose.html

夜の二条城にて七夕文様帷子を

今日は夜の二条城へ行ってまいりました。


昨年清滝テラでも展示をしていただいた、後藤順子さんと高橋裕博さんの「七夕文様帷子」(国立博物館の美しい着物を二人が4年半の月日を掛けて再現したものです)が、京都市主催の「京の七夕」の一環として、世界遺産二条城の、国宝二の丸御殿台所にて、8月12日まで展示されているのです。


私はご近所ですので、自宅から自転車に乗って、夕涼みがてらに出かけましたが、城内は随所にライトアップされていて、海外の方や浴衣姿のカップルなどたくさんの人!
二の丸御殿では琴の演奏もあり、華やいだ雰囲気です。


そんな中、後藤さん、高橋さんも会場に詰めておられ、七夕文様帷子の展示はもちろん、お二人による制作解説などの時間もありました。

海外の方々も興味を持って見て下さっていて、希望者にはちょっと着物を羽織らせてくれたりもしていましたよ!


展示は8月12日まで、時間は夜19:00~21:30(入場21:00まで)。二条城の入場料大人500円が必要ですが、夕涼みがてら二条城城内も散歩でき、気持ちよかったですよ。

7月3日の報告

遅ればせのご報告になりましたが、7月3日の「命を紡ぐ出会いの会」、緑の法然院にて無事終了致しました。
開場してみれば、お客様は次々来て下さり、当日お越しの方を含め、入場者は100名を越えました。

ドキュメンタリー映画「つ・む・ぐ」の上映会は1時間半の長さでしたが、ときに笑いが起こり、ときに涙があふれ、時間は短く感じられました。上映後には、吉岡敏朗監督が挨拶に立ち、軽快に端的に映画のことを語って下さいました。

 

休憩を挟んでからは、山本公成さん、ほしこさんの月ゆめライブ。笛の音が夕方の緑の法然院の内に外にと響き、いつまでも聞いていたい!と思う心地良さでした。凝縮した時を感じる演奏でした。

 

最後は船戸崇史先生のお話。
冒頭に用意されたパワーポイント映像がプロジェクターと同期しないというハプニングがありましたが、すぐに先生が頭を切り替えて下さり、「きっと今日はこれは使うなということなのでしょう」と生のお話にして下さったのです。それがまたよかった。生の言葉で私達ひとりひとりに具体的に語りかけて下さるようで、お話がダイレクトに中まで伝わった気がしました。

締めは船戸先生の音頭とりによる「かに踊り」。これ一度やってみたかったんです!私。人生は思うようにいかないことばかり、、、と思う時も多いのに、ほんとに言えるんだろうか?そんな思いもあったのですが、あなたもやってみればわかります。

「すべてはうまくいっている」言ってみることで、やってみることで、動くものってあるんだなあ!と。

最後は会場中がハグの渦となって、あんなに暑かったのに、汗もかいていたのに、そんなことはどうでもよいことに思え、知らない方も含めて、ホントに数多くの人と思いを共有する会となりました。
おかげさまで、福島の子供たちを和歌山と堺に招く保養キャンプへの寄付金は、当日の収益金(前回残金含む)と会場内でのカンパも合わせて、16万円余となりました。
皆様の大きなご協力に心より感謝します。

それぞれの方が、身近なところから、自分にできる何かを紡いでゆかれることを願ってやみません。
ありがとうございました。

不思議な1日

昨日はとても不思議な1日でした。

我が家では、この時期、毎年奈良の山中に新茶を買いに行きます。
そこは、山と畑、茶畑が広がる静かな気持ちのよい山里で、私達はその場所もお茶の味も大好きなので、もう30年以上も、そこに1年分のお茶を買いに出かけています。
まわりは、春日大社の神山として狩りや伐採を禁じられて来た原始林がひろがり、古い歴史の趣残る地域でもあります。また、カンヌ映画祭でグランプリを取った河瀬直美監督の「殯の森」の舞台になった地域でもあります。

さて、今年も頼んであった新茶を農家で分けていただき、その帰りのことです。夫がふとなぜか、いつもとは違う道に行こうと言い出しました。その道を進んで行くと、山道はどんどん狭くなり、木や草がうっそうと生い茂り、車一台通るのもやっとこさっとこという状況になりました。しかも、山はかなり深く、行けども行けども抜けられません。しかも天気は雨。もちろん車一台、人っ子一人出会いません。

ひどい道に来てしまったと、なんだか心細くなり、姥捨て山に来たような怪しい気分に陥りながら道を進んでいると、突然、信じられない光景と出くわしてしまいました。

その細い山道のカーブで、トラックが一台、道の端の溝に落ちて傾き動けなくなっているのです。しかも、そのトラックをよけようとしたのでしょうか、反対側の溝には、もう一台別の乗用車が、こちらも溝にはまって、これまた動けなくなっています。

トラックの人は、助けを求めにどこかに行ったのか、姿が見えません。乗用車の人は、雨の中、ひとり、どうしたものかと途方に暮れています。こちらも2台が道を塞いでいるので、進むことも戻ることもできませんから、なんとかすべしとお手伝いすることになりました。

病み上がりの夫は力仕事はできませんが、これまたなんという偶然か、昨日は、たまたま息子が京都にいたので、めったにないことですが同乗していました。それで、木や石を探してタイヤの下に挟んだり、皆で車を持ち上げようとしたり、、。最後に、車に積んであった折りたたみの金属椅子を溝に敷いて、エンジンをかけ、ついになんとかタイヤを溝から出すことに成功しました!

乗用車は、アンテナが折れたり車体がへこんだりはしていましたが、運転に支障はないようで、そのまま進行して行きました。そうこうするうち、トラックの方も、若い運転手さんが、麓の村から助けの人を呼んで来られたようで、こちらも何とかなりそうでしたので、私達は、なんとかそこを抜けて、それから15分ほど走り、山道を抜けることができました。

いつもの道を走っていれば、こんな山道に来ることはなく、こんな事故現場に出会うこともなかったでしょう。でも、なぜかその日そのとき、この道に来たおかげで、あんな山中で動かない車を抱えて困っている人を手助けすることになりました。

私達はいったい運が良かったのか悪かったのか、人はどこでどんな偶然とともに生きているのか、必然と生きているのか。
なんだかとても不思議な感覚となった1日でありました。