日別アーカイブ: 2020年4月28日

世界の竹紙探訪の旅 中国編その3

3.浙江省編

今回の旅の中心は東部の浙江省から江蘇省。昔から竹の産地として知られ、竹産業の中心地となっている場所である。2007年4月、竹紙はもちろん、自然の竹、竹の産業、工芸、研究など、さまざまな角度から現代中国の竹事情を見て回る旅に出かけた。

竹紙工場を見る

浙江省の富陽では竹紙の会社に行き、紙漉きの工程を見学させてもらった。富陽にはいくつかの竹紙工場があり、2年前に四川省や福建省で見たのと同様に、機械で潰した竹のパルプにネリを加え、簀桁を使った流し漉きでなめらかな半紙のような紙を手漉きしていた。

幅2メートルもある簀(す)を巧みに操って、次々と手漉きしていくベテランの職人さんの見事な手さばきにみとれる。1日に1000枚手漉きする人もいるというから驚きだ! 私など1日100枚が限界だ。手漉きの技と竹紙の伝統は健在だと思う。

漉いた紙を貼り干しする時に使う刷毛が、本物の松葉を束ねてできた刷毛だったのにはびっくりした。

町には竹紙の工場がまだいくつかあり、竹に麻や楮を混ぜてはいたが、手漉きの技と竹紙の伝統がまだまだ受け継がれている様子が見て取れた。

 

禅寺で竹紙に出会う

杭州では、浄慈寺という禅宗のお寺を訪れた。ここで、竹紙を燃やす光景にはじめて出会った。
以前から、中国の街を歩いていると仏具屋さんのようなところで、黄色い色の紙を束にして売っているのを見る機会があり、竹紙ではないかと思っていた。中国の人に「これ何に使うの?」と聞くと、葬式やお盆や法要の時に、銭紙と呼ばれる竹紙を燃やす風習があると答えられ、実際に使っているところを見たいものだとかねがね思っていた。

浄慈寺では、拝殿に入る前の線香台のようなところで、黄色い竹紙を燃やしていた。ちょうど線香を燃やすのと同じような感覚で、紙垂のような竹紙に火をつけ、それを線香などとともに灰の上に置き、その後、人々は拝殿の方に進んでいく。

ちょっとしたお清めというかお祓いのような感覚なのかなと思った。中国の人に聞くと、法事のときなどにも、日本でいうところのお盆の迎え火や送り火のような感覚で竹紙を燃やすのだそうだ。
この旅で、暮らしに根ざした竹紙の利用風景を見られたことは意義深いことだった。

ちなみにこの浄慈寺というお寺は、水上勉先生の著書『虚竹の笛』の主人公・虚竹禅師ゆかりの寺でもあることを、旅から帰った後に知った。虚竹禅師は竹の楽器・尺八の祖として知られ、水上先生の本の中では、日本人と中国人、また中国と日本の間に生きた数奇な運命の人物として描かれている。そんな人物ゆかりのお寺で、初めて現地での竹紙の使いみちに出会えたことは、たいへん感慨深い思いであった。

竹産業あれこれと日本

宜興では竹のフローリング工場も見た。
工場内では膨大な数の竹が扱われ、細かく割って煮沸や乾燥を繰りかえしながら、床材にされている。

昨今は日本でもときおり竹のフローリング材を見ることがあるが、ここではアメリカやヨーロッパにも輸出されているそうだ。大きな規模の竹産業だ。これから日本でもこうした需要が増えていくのだろうか。

竹工芸品と100円ショップ

安吉では、竹工芸品の工場に行った。
残念ながらすでに作業時間は終わっており、製作風景は見られなかったが、ここで作られた製品の数々をみておもわず「えっ!」と声を上げそうになった。製品のほとんどが日本のホームセンターや100円ショップで売られているおなじみの竹商品だったからだ。竹の割り箸から楊枝、竹べら、竹ざる、竹籠、花入れ、家具など何でもござれ。まるでここは日本の100円ショップのショールームだ! ここから週に1回コンテナが出荷され、大阪や京都の会社や料理店に荷が届けられるという。

こうした竹製品のうち、単純なものは機械化されて工業的に作られているが、竹籠などほとんどの細工物は手で編んで作られるものだ。京料理を演出する竹の籠や小粋な突き出しを入れる竹の容器が、中国の田舎で、中国の職人さんたちの手によって作られていたのかと思うと、すこしショックだった。
日本ではこうした手作り品は手間のかかる貴重なものとして珍重され、価格も高価だ。でも、ここ中国では、同じ手作り品が安い人件費に支えられ、日本向けに次々と作られ送り出されているのだ。使い捨て商品としてその安さを要求しているのも私たちであり、一方で高級な手作り品を求めているのも私たち。その矛盾を考えさせられるひとときでもあった。

竹の海!
今回一番楽しみにしていたもののひとつが「竹海」の見学だった。「樹海」という言葉は知っているが、「竹海」は日本では見たことも聞いたこともない。竹が海のように連なる光景−−一体どんなだろうと胸をふくらませていたが、それがまさしく中国にはあった。

孟宗竹の海が見渡す限り続いている! その向こうの山も一面竹林、そのまた向こうの山も一面竹林。竹の緑は他の樹木のように濃い色ではないので、淡い緑の山々が見渡す限り続いている。黒竹の竹海もある。こうした光景は浙江省、江蘇省周辺にいくつかあり、「竹海公園」として中を散策できるようにしているところもあった。

ここを歩いた時の気持ちよかったこと! 庭園的なチマチマした竹林ではなく、荒れ果てた放置竹林でもない、美しい森に入ったような竹林散策は、まさに竹林浴そのもの。私はマイナスイオンを全身に浴びて、すっかりリフレッシュして元気になった。

言い添えておくが、こうした中国の竹林は、決して自然のままの状態ではない。私は旅に出る前、勝手なイメージとして日本の竹の方がきちんと手入れされており、中国の竹は手入れされていないのではないか、と想像していたのだが、全くちがっていた。竹海公園の竹にしても、1本1本の竹に目印がついていて、それぞれの所有や竹の状態が識別され、管理手入れされていた。

中国は竹の豊富なところだ。広い国土のあちこちに竹の産地がある。そして、竹を利用する割合もまた、日本とは比べ物にならないほど多い。日本では竹から他の素材へと変わっていってしまった物の多くが、中国では今なお竹でつくられ続けている。現代日本の竹がともすればイメージ先行で実際には使い道がないのに比べ、中国の竹はさまざまな形で生活の隅々に入っているのだった。だからこそ、育てられ、管理され、生かされ続けているのだろう。当たり前の事ながらそのことに気づき、衝撃的な驚きをおぼえた。

日本では再び、中国のように竹を使う事があるのだろうか? そのためには何を捨て、何を拾うことになるのだろう。日本の竹に未来はあるのだろうか? よくはわからない。でも、私は私なりのやり方で竹を使い竹と関わっていきたい。日本の竹も中国の竹も、この目で見続けていきたいと思った。

*調査訪問時期は2007年4月です。「竹資源活用フォーラム」の調査行として視察訪問し、この他にも大学の研究所や竹の博物館など多くを訪れました。2020年の現在では当時と様子が変わっているところもあるかもしれませんが、当時の写真と日記の臨場感をそのままに残しておきたいと考えましたので、そのままに記載しておりますことをご了承ください。