日別アーカイブ: 2023年5月24日

一畳百色展終了しました

甲谷さんと由良部さんの「一畳百色展」が終了しました。
バリアフリーでもない山裾の古民家に、たくさんの方がお越しくださいました。展覧会のことをまとめて報告しようと思うのですが、会期中の多くの光景や思いが押し寄せてきて、なんだか簡単にまとめられません。

特に会期後半には、甲谷さんはじめ、重度障害者の方々が4組も車椅子で来てくださり、会場で皆さんと集うことができました。
会場で甲谷さんに久々に会われた看護師さんが声をかけられた時、甲谷さんの目がパッと輝いた瞬間は忘れられません。車椅子の方が、2階の作品も見たいと言ってくださり、皆で2階の作品を下に持って降りたことも印象深いことでした。ここまで来る時間や労力も大変だったはずなのに、会場を楽しんでくださったご家族の前向きさにも打たれました。帰り際には、ALSのご家族の方同士がライン交換し合う場面も見られて嬉しかったです。

場や状況がきちんと整っていなくとも、それ無理でしょ、できないでしょ、と決めつけず、できる形を探せば良いのだ、と気付かされました。

この企画展をきっかけに、いろいろな人がつながりあい、理解、協力し合い、明るく、風通し良く、少しでもより良く生きてゆけたらと願います。
この展覧会に来て、甲谷さんの絵と由良部さんの踊りを見て、話も聞いてくれた友人が、感想に「なんだかエネルギー温泉に入ったみたい」と言ってくれました。上手いこと言うなあ!まさに今、そんな感じです!

5月21日

「一畳百色」展終了。最終日、満員御礼。
どんな会だったのか、言葉にまとめようと思うのだけれど、うまく言葉が紡げない。言葉にすると、薄っぺらくなってしまいそうな気がして、あれ、意外にも無口になる。
大勢の方が来てくださった。この日も車椅子は2台。こんな山裾のバリアフリーでもない古民家の空間に、よくぞお越しくださった。

今回やりたかったことは、「五月晴れの新緑美しい清滝で、窓を開け放ち、吹き渡る風を感じながら、甲谷さんの絵をみて、由良部さんに踊ってもらうこと」。お二人を通して、一畳の空間の中にある大きな広がりを多くの人とともに感じること。そして、改めて、生きるとはどういうことなのか、考えてみたいと思った。

今、曲がりなりにも、それらができたという充実感の中にある(行き届かない点も多々あったとは思いますが)。


この展覧会を通して、とてもよくわかったことがある。
人はみな、それぞれ存在の意味を持っている。
病の有無も関係ないし、体が自由に動かせるかどうか、ましてや職業や頭の良し悪しも関係ない。
それぞれがその存在を発する手段は、言葉だけではなく、絵だったり、踊りだったり、歌だったり、いやそれだけでもなく、ほんの少しの表情だったり目の輝きだったり、いやそれですらなく、その人の存在自体が、誰かを励ましたり、助けたり、生きる支えになったりしている。
人はだれもが自由であるし、不自由でもある。
でも人は、誰もがそれぞれの光を放っていて、それは誰にも取り替えの効かないないかけがえのないものだと思う。

ああ、言葉にする尻から大切なものがするする抜け落ちていってしまう気もしますが、今回の展覧会で知りたいと思っていた答え、そんな言葉の近くにある気がしています。

 

5月20日

今日は胸が熱くなる1日でした。
清滝テラの会場に甲谷さんが来てくれました。


ギャラリーの壁面には甲谷さんの絵が並び、絵に取り囲まれた中に甲谷さんがいて、お知り合いのALSの方もいらして、車椅子は2台。来訪者の方々も見守ります。
その中で、一畳の畳を結界として、由良部さんが踊り続けられました。


静かだけれど激しくて、穏やかなようでいて研ぎ澄まされていて。
吹き抜ける風のようでもあり、とどまることなく流れてゆく水のようでもあり。
ああ、私はこの光景を思い描いて、この展覧会を企画してきたんだなあ!


由良部さんに、甲谷さんに、ともに居合わせてこの場を作ってくださった全ての方に、たくさんのたくさんの感謝の気持ちです。

ちなみに今日の甲谷さんは、朝からお出かけとわかって?ウキウキ?そわそわ?していらしたとのこと。
そして、会場で、以前甲谷さんの看護をしていらしたという、看護師の女性と久々の再会された時のこと、「甲谷さん、〇〇です、お久しぶりです!」と声をかけられると、甲谷さん、明らかに目が輝き、生き生きとした表情になりました。
な〜んだ、甲谷さん、みんなちゃんとわかっているんじゃん!
コミニュケーション手段がないなんてこと、ないんだね。
いろんな形で発信している!私、確信しましたね。
なんか、(もうちょっと)ちゃんと生きなあかんなと思いました。