8月17日は久しぶりに若狭に行ってまいりました。と言っても決して嬉しい訪問ではなく、若狭や一滴文庫にとってなくてはならない人であった画家の渡辺淳さんのご葬儀でありました。
86歳とご高齢ではありましたが、いつまでもお元気なような気がして、いつも変わらない故郷のように思えて、ここしばらくご無沙汰してしまっていました。
淳さんとの一番最初の出会いは、水上先生と知り合って、初めて一滴文庫にお邪魔した時。一滴の庭で草むしりとお掃除をしていた年配の男性がいらして、庭仕事のお手伝いの方かなあなどと思っていたら、それが淳さんだったのでした。
いつも心安く声をかけてくださり、来る人を温かく迎えてくださり、水上先生のご著書の挿絵を100冊余りも描かれたベテランの画家であるにもかかわらず、ご自身のことも絵のことも、何の出し惜しみもなく飾ることもなく与えてくださる方でした。一滴文庫で、淳さんのアトリエで、たくさんのお話を聞き、たくさんの絵を見せていただきました。
渡辺淳さんは、水上勉先生と同じ若狭の隣り合う村に生まれ、そこで育ちました。水上先生は若くして故郷を離れ、故郷に愛憎相半ばする思いを抱きつつ都会に出て行かれたわけですが、淳さんは、生まれた若狭の谷あいの村から一度として外に出ることはないまま、そこで炭焼きや郵便配達をしながら、絵を描き続け、一生を終えました。
お二人の生き方は、全く異なるようですが、互いに分かり合う思いがあり、だからこそ水上先生と渡辺淳さんは、(年齢は水上先生が一回り上で、水上先生が渡辺さんを見出し著書の挿絵に抜擢した、といった経緯を超えてなお)、尊敬し合う良き友であり理解者であったように思います。お二人のご生前、どちらからもそういう思いを感じました。
テラでも何度か淳さんの展覧会をさせていただきました。ランプの絵、炭焼き窯のえ、仄暗い灯りの元を飛び交う蛾の絵、草むらの絵、茅葺の絵、たくさんの淳さんの絵が目に浮かびます。
清滝でも向坂典子さんと二人展をさせていただきました。清滝の自然をことのほか楽しんでくださり、清滝ではお客様とご一緒に散策しながらスケッチ会もしていただきました。その場の風景を切り取り、ササッっと描いていかれる様を目の当たりにできたことは貴重な時間でした。皆さんのスケッチを見ながらの合評会も楽しかったです。たくさんのファンがいらして、その多くの方ともいつも絵を添えたお手紙など交わしておいででした。
ご葬儀に向かう車の中で、若狭が近づくにつれ、青葉山が大きく前に見えました。若狭富士とも言われるこの山も、淳さんが好んで描いた山でした。テラに残る竹紙に描かれた青葉山の絵を見ながら、たくさんの思い出も宝物もいただいた渡辺淳さんにありがとうございましたと申し上げました。
「この谷の土を喰い、この谷の風に吹かれていきたい」という言葉そのものの一生だったと思います。