5月21日

「一畳百色」展終了。最終日、満員御礼。
どんな会だったのか、言葉にまとめようと思うのだけれど、うまく言葉が紡げない。言葉にすると、薄っぺらくなってしまいそうな気がして、あれ、意外にも無口になる。
大勢の方が来てくださった。この日も車椅子は2台。こんな山裾のバリアフリーでもない古民家の空間に、よくぞお越しくださった。

今回やりたかったことは、「五月晴れの新緑美しい清滝で、窓を開け放ち、吹き渡る風を感じながら、甲谷さんの絵をみて、由良部さんに踊ってもらうこと」。お二人を通して、一畳の空間の中にある大きな広がりを多くの人とともに感じること。そして、改めて、生きるとはどういうことなのか、考えてみたいと思った。

今、曲がりなりにも、それらができたという充実感の中にある(行き届かない点も多々あったとは思いますが)。


この展覧会を通して、とてもよくわかったことがある。
人はみな、それぞれ存在の意味を持っている。
病の有無も関係ないし、体が自由に動かせるかどうか、ましてや職業や頭の良し悪しも関係ない。
それぞれがその存在を発する手段は、言葉だけではなく、絵だったり、踊りだったり、歌だったり、いやそれだけでもなく、ほんの少しの表情だったり目の輝きだったり、いやそれですらなく、その人の存在自体が、誰かを励ましたり、助けたり、生きる支えになったりしている。
人はだれもが自由であるし、不自由でもある。
でも人は、誰もがそれぞれの光を放っていて、それは誰にも取り替えの効かないないかけがえのないものだと思う。

ああ、言葉にする尻から大切なものがするする抜け落ちていってしまう気もしますが、今回の展覧会で知りたいと思っていた答え、そんな言葉の近くにある気がしています。