展覧会レポート

展覧会も残すところあと1日となりました。

毎日が「筋書きのないドラマ」です。
私は、会場に来られた方々から、齋藤さんのことをたくさん知ることができたように思います。

作品は、どうしたって、つくった人を映し出す鏡のようなものです。
作者の風貌と作品は一見かけ離れて見えることもありますが、それでもやっぱり作品には作る人のどこか一面が見え隠れするのはまちがいないでしょう。
作品を見ながら、つくった人のことを想像するのも、私の密かな楽しみです。

昨日は「音庭園」のSATOSHI MURATAさんとラブシェアリングひろこさんによるミニライブを会場で行っていただきました。

夏の終わりの風が吹き抜ける中、涼やかに演奏は始まりました。
心地よいピアノの音色とソフトなヴォイスの響き、二人の音楽は、あらかじめ出来上がった音楽ではなく、その空間やそこにある作品、居合わせた人々があって初めて生み出される即興音楽です。


背面に飾られた古代文字の作品は「そらにひかり やまにはあめ ひとはうまれ のにはへいわ つちにかえり そらにひかり」
奏でる音楽は、この言葉ともぴったりだなあなんて思いながら聞いていましたが、2曲ほどが終わったところで、ピアノの村田さんが話し出しました。

「齋藤さんのこの作品の下には、制作年月日のような時間が記されています。それは、 広島と長崎に原爆が投下された日時と時間だそうです。それを知ってこの作品を見ると、言葉の持つ意味もまったく違う意味に感じられます。次は僕がそこからインスパイアされた曲を演奏します」

今度はそれまでとは打って変わった激しい曲調のピアノとなりました。稲妻のような空の光、噴き上がるキノコ雲、黒い雨、行き惑う人々、そんなシーンが見えてくるような、そこで人が感じた恐れや怒りや悲しみが伝わってくるような鋭く厳しい演奏でした。


私が呑気に、光溢れる自然を感じる良い言葉だなあ、なんて思っていた作品に、この人はこんな思いを読み取っていたのか、予想していなかった驚きを持って、演奏を聴きました。
そして、その想いは、齋藤さんも作品に込めていた思いでもあったのでしょう。

作品を作る人、会場でそれを見る人、それぞれのさまざまな思いがあり、読み解き方もそれぞれあることと思いますが、今日は音楽で、その受け止めを見せていただけたなあ、と感慨深い想いでした。

今日は今日で面白い1日でした。
明日の最終日にはどんなドラマが待っているでしょうか?

作品の上にはいつの間にか、カマキリの来訪者。
自然の造形物?展示に加わってくれていたみたいです。