ミャンマー竹紙探訪の旅(2016年2月 その1)

現在は2020年1月6日です。この4年近く、詳しい報告をすることができなかった2016年のミャンマー竹紙の旅のレポートを、今ようやくアップすることにします。この4年間にさまざまなことがあり、なかなか先に進めませんでしたが、ようやく気持ちにも時間にも少し余裕が生まれ、これをアップすることで、振り出しに戻ったように、そこからもう一度駒を先に進めてみたいと考えています。
当時、旅先で記していた日記に基づき書き進めていきます。長いレポートになるかもしれませんので、どうぞお暇な時間にお読みください。

2月2日 出発まで

PM7時 自宅出発。
留守を頼んでいた川崎在住の姉が、どこでどう食い違ったのか、私達の出発日は明日だと思っていて、自宅出発時間の1時間前に京都着。我が家隣には90代の義母がいて、一人では置いておけない状況。しかも、姉を駅に迎えに行っているちょっと目を話したすきに、義母は鍋を焦がし、気づくと家は煙だらけ。自動警報機が働き、すべてのガス機器が元から止まってしまっているというちょっと危機的な状況もあった。

だいたい、出発までのここ1ヶ月はかつみゆきおさんの本づくりで、やってもやっても終わりが見えず、何日も徹夜つづき。私も静岡のかつみ工房にも足を運び、かつみさんも4泊もわが家に泊まって、夜中の写真追加撮影もあったりして、いくつもの波を乗り越え、なんとか必死で入稿までこぎつけた。
でも、もうこっちのものだ!ついに船は出たのだ!!


2月3日 バンコクからミャンマー・マンダレーへ

AM5時。夜明け前のタイ・バンコクに到着。
長い通路を歩いてバンコクエアウェイズの乗り継ぎカウンターへ移動。

目的地マンダレーへの出発は12:05なので時間ありすぎ。かと言って外に出るにはちょっと時間がないので、エコノミーでも入れるラウンジを見つけ、そこで無料のお茶や小さなサンドウィッチ、粽みたいな蒸し菓子、お煎餅などあれこれ食べる。

が、まだまだ時間はある。そこで空港内のラウンジや通路座席で思わず横になって寝ていたら、夫に「恐ろしすぎ~」と言われる。でも、国際線の通路でゴロゴロしながら、いろいろな国の民族衣装を着た人たちが行き交うのをみるのはいつだって面白い。(写真は私ではあんまりなのでT氏)

空港内でトムヤンクンを食べ、更に便は40分の時間遅れでようやくフライトとなる。移動バスの中で、ミャンマー人の小さな女の子が私に席を代わってくれる。おばあさんに見えたのかな。お礼を言うと、こんどはT氏の分まで席を代わってくれた。

ミャンマーの人の優しさに触れたようで嬉しい。子どもに良い教育がされている国なのかな、と思う。
飛行機は1時間遅れで離陸。

マンダレー到着

マンダレーの空港からタクシーで市内へ。
だだっ広い平原、知らない種類の木々、でも水田では田植えがみられ、牛が元気よく馬車仕立てで道を走る風景も見られる。
市内はトラフィックジャム。車、バイク、人、荷物が混沌と交差している。町は、どこがマーケットなのか、繁華街なのか、どれがなんの店なのか、パッとわからないかんじ。

1泊目だけ日本でネット予約しておいたホテルに入り、夕方爆睡。
夜になってからマンダレーの街を歩く。

混沌とした通りを歩くのは至難の業だ。車やバイクを避けながら必死で歩く。歩道らしきものはあるのだが、ボコボコの道で、あちこちにある下水溝は蓋が壊れて穴だらけ。下手をするとマンホールに落ちないかヒヤヒヤするし、アスファルトにボルトが飛び出していたり、石や砂利が凸凹あって、躓きそうになるし、ずっと下を向いて歩いていないと危険。

ライトアップされた美しい王宮と、そのすぐ横のまだ下水が出来上がっていない工事中の混沌とした道が対照的。

でも、人の悪さはあまり感じず、夜道もあまり怖くない。
若者たちは携帯ショップの前に群がるように集まり、おおいに賑わっている。今からどんどん街も変わっていくのだろうなあ。

夕食は町のレストランでミャンマー料理。

エビカレー、チキンカレー、カレーを頼むとライス、スープ、野菜、副菜がもれなくついてくる仕組みらしい。スープは豆スープ。野菜はウリに魚醤をかけて食べる。いんげんのピーナツあえは日本の胡麻和えにそっくり。こぶみかんの葉、キャベツ、カリフラワーや緑豆を茹でてごま油で味付けしたものなど、ミャンマーらしい味を味わう。

→その2へ続く