月別アーカイブ: 2017年8月

sow&zuca 布と革の手仕事展

9月28日(木)〜10月3日(火)清滝テラの展覧会のご案内です。

アジアを巡り、そこで出会った布を持ち帰り、手織り綿を中心とした着心地の良い服をデザイン縫製しているナラサキシノブさん(sow)と、植物のタンニンでじっくり鞣された革を革包丁で切り、ロウ引きの麻糸で手縫いしてバッグや小物を作る桂野和美さん(zuca)の作品展です。

ナラサキさんとはラオスが縁で親しくなりました。私も竹紙の調査で訪れたラオスの村ですが、ここでは手紡ぎ手織り草木染めのアジア綿の布が当たり前の世界。今の日本なら「希少価値の完全オーガニック」ということになると思うのですが、ラオスの村では誰もそんなことは言わず、当然のごとく(というかそれしかない)それが粛々と作られています。

ナラサキさんはラオス、タイ、インド、ブータンなど、そうしたアジアの手仕事の場所を巡り、作り手と交流して布を入手し、服を作っています。ものづくりの現場と風土を見てきているわけですから、布を無駄にせず、手作業の良さを生かし、伝統を知りつつ、かつ現代に生かした服作りを、と目指すことになるわけです。

一方、桂野さんとはナラサキさんを通じて何年か前に知り合いました。作品を拝見して最初に感動したのは、その軽さです。大体、革の作家さんは男性の方が多く、その作品はカッコ良いもののがっちりしていて結構重いものが多いのです。何も入れていないカバンの存在感でちょっと肩がこる、、そんな作品も多いのですが、桂野さんの革のカバンは、ふんわり柔らかく、とても軽い!!それはとてもありがたいことでした。

植物のタンニンでじっくり鞣した革を丁寧に切り出し、ロウ引きの麻糸で手縫いしています。さらに幼い子供さんを持つお母さんですから、お母さんが持ってもよし、子供さんが持ってもよし、もちろんお父さんが持っても、という、使いやすさとデザイン性が共存する女性目線の革仕事、そこが、今回桂野さんにご登場いただいた大きな理由です。

お二人共、今回は、会場での展示販売のほか、それぞれワークショップも予定してくださっていますし、会場にてのセミオーダーも受けてくださる予定です。どうぞ足を運んで、手に持ち、体に当ててみて、大いにお楽しみいただきたいと思います。

ワークショップのご予約も受け付けておりますので、どうぞご連絡お待ちしております。

ワークショップ
・ナラサキシノブさんのワークショップ
9月29日(金)11:00~16:00 4500円 要予約
インドの手織り布を使い、まず大和藍で豆絞り染めしてから、その藍布をバッグに仕上げます。豆絞りはお好きな模様も可能。染めと縫いの両方を1日でやりますので、ランチも用意していますよ(希望者1000円、千原さんのトルコ風ひよこ豆の煮込みとテラのかまど炊きのご飯の定食です)。染めから縫い物までナラサキさんが指導してくれます。

・桂野和美さんのワークショップ
9月30日(土)または10月2日(月)13:00〜16:30
参加費9000円 10日前までに色を選んで要予約
キャメル、グリーン、チョコの3色から革の色を選んで、手提げの革バッグを手縫いします。革で縫い物なんてしたことないけど出来る?!という方も、桂野さんがちゃんと手ほどきしてくれますので、どうぞご心配なく参加してください。

渡辺淳さんのこと

8月17日は久しぶりに若狭に行ってまいりました。と言っても決して嬉しい訪問ではなく、若狭や一滴文庫にとってなくてはならない人であった画家の渡辺淳さんのご葬儀でありました。

86歳とご高齢ではありましたが、いつまでもお元気なような気がして、いつも変わらない故郷のように思えて、ここしばらくご無沙汰してしまっていました。

淳さんとの一番最初の出会いは、水上先生と知り合って、初めて一滴文庫にお邪魔した時。一滴の庭で草むしりとお掃除をしていた年配の男性がいらして、庭仕事のお手伝いの方かなあなどと思っていたら、それが淳さんだったのでした。

いつも心安く声をかけてくださり、来る人を温かく迎えてくださり、水上先生のご著書の挿絵を100冊余りも描かれたベテランの画家であるにもかかわらず、ご自身のことも絵のことも、何の出し惜しみもなく飾ることもなく与えてくださる方でした。一滴文庫で、淳さんのアトリエで、たくさんのお話を聞き、たくさんの絵を見せていただきました。

渡辺淳さんは、水上勉先生と同じ若狭の隣り合う村に生まれ、そこで育ちました。水上先生は若くして故郷を離れ、故郷に愛憎相半ばする思いを抱きつつ都会に出て行かれたわけですが、淳さんは、生まれた若狭の谷あいの村から一度として外に出ることはないまま、そこで炭焼きや郵便配達をしながら、絵を描き続け、一生を終えました。

お二人の生き方は、全く異なるようですが、互いに分かり合う思いがあり、だからこそ水上先生と渡辺淳さんは、(年齢は水上先生が一回り上で、水上先生が渡辺さんを見出し著書の挿絵に抜擢した、といった経緯を超えてなお)、尊敬し合う良き友であり理解者であったように思います。お二人のご生前、どちらからもそういう思いを感じました。

テラでも何度か淳さんの展覧会をさせていただきました。ランプの絵、炭焼き窯のえ、仄暗い灯りの元を飛び交う蛾の絵、草むらの絵、茅葺の絵、たくさんの淳さんの絵が目に浮かびます。

清滝でも向坂典子さんと二人展をさせていただきました。清滝の自然をことのほか楽しんでくださり、清滝ではお客様とご一緒に散策しながらスケッチ会もしていただきました。その場の風景を切り取り、ササッっと描いていかれる様を目の当たりにできたことは貴重な時間でした。皆さんのスケッチを見ながらの合評会も楽しかったです。たくさんのファンがいらして、その多くの方ともいつも絵を添えたお手紙など交わしておいででした。

ご葬儀に向かう車の中で、若狭が近づくにつれ、青葉山が大きく前に見えました。若狭富士とも言われるこの山も、淳さんが好んで描いた山でした。テラに残る竹紙に描かれた青葉山の絵を見ながら、たくさんの思い出も宝物もいただいた渡辺淳さんにありがとうございましたと申し上げました。

「この谷の土を喰い、この谷の風に吹かれていきたい」という言葉そのものの一生だったと思います。

愛宕千日詣りとインドの写真展

石原友さんの写真展「PACHMARHI CANTT」が終了しました。

7月31日は愛宕千日詣りでした。平日の月曜だし、連日の暑さだし、人出はどうかなあ?と思っていましたが、やはり夕方から夜にかけて、どんどん山に登る人が増えていきました。若いグループやカップル、幼い子を連れた家族連れ、中高年のご夫婦や友人同士、老若男女、年齢も性別も問わず様々な人々が、それぞれの思いを抱いてこのしんどい山を登っていきます。

写真展のスライドトークは、30日に盛況のうちに終了しましたが、せっかくの千日詣りの夜だから、写真展はオールナイト開場に、さらには人が来るならトークももう一度やりましょうということになり、本当にこんな日のこんな夜に、交通規制もある中来る人いるのか?という不安も若干抱きながら、時間は進んでいきました。

この困難な日に敢えて会場に足を運ぼうと思ってくださった方、石原さんの告知を見て、遠方から来てくださった方、交通規制の中、バスや歩きで来てくださった方、山登りの行きや帰りに立ち寄ってくれた方(3時間半で往復された方もあれば最長11時間かけて登って降りた方もありました)、なんだか互いにこの日ここで出会うことは特別のことだったような感情さえ湧いてくる、ちょっとクライマーズハイな写真展とスライドトークでありました。

結局、この日スライドトークは、夜10時半から11時半頃に1回、さらに深夜にも2回行われました。

ワッテチャイもオールナイトで行われ、こちらも小さな出会いと別れを繰り返しながら、朝がしらじら明ける頃、石原友さんは全く眠ることなく清滝から仕事に出かけて行ったのでありました。

私も、いい歳して久々に計算なしの無鉄砲な時間を過ごしたなあ(いや、実はいつもそうか?)、というような爽快感を抱きつつ、眠らない朝を迎え、半ば朦朧としつつ、さらに残る会期を乗り切ったのでありました。

インドの秘境の山で行われるヒンドゥー教の祭りと、京都愛宕山で行われる信仰の祭り、遠く離れた異なる宗教の形でありながら、やっぱりそこには人が生きていることを再認識することでもあり、祭りは祈りでもあり、精神高揚のときでもあり、いろんな思いをかきたてられながら、今ここでしかできない今回の写真展は終了となったのでありました。