日別アーカイブ: 2021年9月23日

「しぜんをかたちに」展 作家紹介その2

9月25日〜10月3日までの「しぜんをかたちに」展。
3人の作家紹介、最後の〆めは村田啓子さんです。

村田啓子さんは能登にある禅寺龍昌寺の大黒さんです。龍昌寺はもう40年余りも前に、啓子さんのご夫君である僧侶の村田和樹さんが、禅のあるべき姿を求めて、金沢の寺を離れて移り住み、山林の開墾から始めて、寺を作り、水を引き、田畑を耕し、人が集ってきたお寺です。

この場所のことを語るとき、「無いという豊かさ」という言葉を思います。いろいろな時にそのことを思うのですが、象徴的な話を二つ。

村田啓子さんとご一緒にお料理を作っていたときのこと。
味噌汁の出汁を取るのに、煮干しが2匹しか入っていませんでした。私だったら、少なくとも5〜6匹はバラバラッと放り込みます。「えっ、たったの2匹しか入れないの?!」と思いましたが、啓子さんはこれで十分だと言います。
半信半疑でしたが、出来上がった味噌汁は、しっかり出汁が出ていて、とてもおいしいものでした。「なんで〜?!」
その煮干しは、能登の海でとれたイワシを、啓子さんが自分で干したものでした。新鮮で濃厚で、少量でも旨みが十分に出て、それに自家製の野菜と味噌が入れば、味噌汁は十分すぎる美味しさでした。あの味噌汁はちょっと衝撃的で忘れられません。

 

もう一つは卵の話。
龍昌寺のあるよろみ村では、共同で鶏を飼っています。配合飼料を使わず、米糠やクズ野菜などを混ぜた餌をやっているそうなので、時に、次々と卵を産まない時もあるそうなのです。
それで、啓子さんは、数少ない卵を料理に使うため、一個の卵を、朝ごはんに半分食べて、残りの半分を子供のお弁当に入れていた、と話してくれました。
スーパーで買う卵は10個で200円もしない安さです。それを1個の卵を朝と昼で半分ずつに分けて使う家がある、、、私、なんかすごいカルチャーショックでした。

 

龍昌寺の暮らしは、物が潤沢にあるわけではありません。冬は深い雪に覆われます。それでも、自分たちで作れるものは自分たちの手で作り、藍を育て、渋柿から柿渋を作り、自然の恵みに感謝して、ないものの中から工夫して作り上げて暮らしを営んでいます。
「無いという豊かさ」に満ちている気がするのです。

村田啓子さんの藍や柿渋の作品は、もちろん作品としての魅力もあるけれど、そんな暮らしの窓口として、いつも心惹きつけられる存在です。