(その1から続く)
2月4日 NORIKI日本語学校との出会い
今回の旅の目的は竹紙だ。
ミャンマーで竹紙が作られ使われているらしいということは、ずいぶん前に聞いたことがあった。テラを始めてしばらくした2000年頃かもう少し後だったか、店にたまたま立ち寄ってくれたアメリカ人のお客さんが、ミャンマーで撮ってきたというビデオを見せてくれたことがあったのだ。はっきりしたことは覚えていなかったが、ミャンマーの寺院では金箔を使う習慣があり、それをつくる際に竹紙を使うというような話だったと思う。
竹紙の専門店と名乗ったからには、国内外を問わず、どこで誰がどのような竹紙をなんのためにつくっているのか調べようというのが、私のライフワークでもあり、今回はそのための旅であった。
長い間心の片隅にあったミャンマー竹紙を訪ねる旅の決行であった。
しかし、竹紙をどこでどのようにつくっているのか使っているのか、細かな情報は持ち合わせていなかった。唯一手がかりとしていたのは、マンダレーに金箔をつくる工房があることだった。それを頼りにマンダレーに直進してきた。
ミャンマーは、現在、日本との交易が盛んになりつつあり、マンダレーには大学に日本語学科があり、日本語学校もいくつかあるという。まず、そうしたところを訪ね、日本語のできる人から竹紙情報を得ようと考えた。もしかしたら、日本語ガイドを務めてもいいなんていう学生が見つかるかもしれないなどとも思いながら。
朝からマンダレー大学近くにいくつかある日本語学校のまわりを歩いていると、「NORIKI日本語学校」という看板があった。NORIKIって何?経営者の名前かな?もしや日本人かも?
飛び込みで中にはいってみる。
モーさんというミャンマー人女性の先生が優しく対応してくれる。校長先生のチョーさんや事務方のトーキョーさん?も出てきて親切に対応してくれる。
NORIKI日本語学校には、日本人はおらず、校長先生も先生方も全員がミャンマー人だった。チョーさんもモーさんもマンダレーの大学で日本語を学び、長期の日本滞在などの経験はないにもかかわらず、日本語は流暢だ。教室も見学させてもらったが、生徒たちは若く活気にあふれていて、みなやる気いっぱいだ。
突然訪れた変な日本人夫婦にも「これが生の日本人か」というような旺盛な好奇心を感じる。日本企業で働いたり、日本語を使って仕事の幅が広がることに大きな意欲を持っている様子が感じられた。
ちなみに「NORIKI日本語学校」の「NORIKI」は日本人の名前ではなく、「やる気、乗り気」の意味のNORIKIであるらしかった。
竹紙の金箔工房へ
午後、NORIKI日本語学校の校長先生、チョーさんに案内してもらい、「キングガロン」という金箔工房に出かける。
トンカン、トンカン、店の外からリズミカルな音が響いている。
工房に入ると、入れ墨をしたガタイの良いお兄さんたちが上半身裸で木の棒を振り下ろしながら金箔を叩いている。力仕事だ。額に汗しながら、男性たちが何人もでこん棒を振り続ける。そしてその音が交互に響き渡り続けている。
金箔の間に挟む紙が竹紙だと聞いていたけれど、現場で聞いてみると、束にしてたくさん挟んでいる紙はわらの紙で、金の直接当たるところに挟んでいる紙だけが竹紙だという。でも、その紙は油が染み込んだ薄くて黄色いパラフィンのような紙で、「これが竹紙なの?」と???が増える。
まあ、日本でいうところのあぶらとり紙も金箔を叩く間に挟む紙だったというから、それに近い感じなのかな。それにしても私達の竹紙とは大いに異なる。
で、「その竹紙はどこでつくっているの?」と聞くと、マンダレーの郊外の方に、竹紙を漉いている場所があり、そこから仕入れているとのことだった。ぜひそこに行ってみたいと伝えて、詳しい場所を聞いてもらった。
大変ありがたいことに、チョーさんが手配をしてくれて、翌日竹紙をつくっている場所に連れて行ってもらえることになった。
やはり、現地に来て、足で回るといろいろな情報が手に入る。それにしても、よい出会いがあって本当に幸運だった(その後もNORIKI日本語学校の方々には今回の旅で大変お世話になった。見ず知らずの飛び込みの日本人にこれ程までに親切にしていただき、心より感謝している)
→その3に続く