日別アーカイブ: 2020年1月17日

ミャンマー竹紙探訪の旅 その6

2月10日 インレー湖をめざす

ローカル長距離バスでいったんマンダレーに戻り、インレー湖を目指す。
なぜインレー湖行きが決まったかといえば、NORIKI日本語学校より「インレー湖近くで紙を漉いているところがある、竹紙ではないか?」と言う情報が入ったからだ。それに「ミャンマーに来たら、やっぱりインレー湖は見たほうがいいよ」とチョーさんも言うので、またまた手配をお願いして、マンダレーから車でインレー湖を目指すことになった。

車とドライバーさんの他、ウーさんという通訳ガイドさんにも同行していただく。
基本的に私たちの旅は、いつも個人旅行のバックパッカーで、なるべくローカルな乗り物を使用、泊まり先も予め決めずに現地調達、自由に行動する貧乏旅行を旨としているが、紙漉きの調査では、現地の言葉が自由に喋れる人が必須になることが多い。だいたい紙漉き場はどこも田舎で英語なんか通じないことが多いし、詳しい内容や専門的なことを突っ込んで聞こうと思うとき、身振り手振りや互いのつたない英語力では、思うところが聞ききれず伝えきれず悔しい思いをすることもある。だから、これだけは必要な贅沢と思いお願いしている。

通訳ガイドのウーさんは、英語日本語の通訳やガイドの仕事をしている人だが、なんと人形遣いなのだそうだ。ミャンマーの伝統的な人形を操るそうで、日本にも人形公演に来たことがあるという。
それを聞き、是非にとお願いして、ウーさんの操り人形を一体、車に同行してもらうことにした。
ドライバーさんは、先日紙漉き場に行ったときと同じ人だ。ずっと後日にわかったことだが、彼はNORIKI日本語学校の日本語教師のモーさんのお兄さんだった。車もお兄さんの車だったようだ。すごく車の運転がうまく、車もきれいで、頼りがいがある感じの良い好青年だとは思っていたのだが、そんなことはつゆ知らず、、。
ああ、ほんとにNORIKI日本語学校の皆さんにはお世話になりました!感謝の気持ちでいっぱいです。

ピンダヤの紙漉き場

途中、すごい山道のヘヤピンカーブをつぎつぎ曲がり、高い峠を超えながら、いくつもの街を通り過ぎて、午後3時過ぎにピンダヤの紙漉き場に到着する。
が、残念なことに、ここで作られていたのはコウゾの紙で、竹紙ではなかった。
もう一軒ヘーホーの空港近くにも紙漉き場があるというので立ち寄ってみるが、どちらも同様なコウゾの紙のみ。竹紙はまったく作られていなかった。

ああ、時間をかけてやってきたのに残念、、、という思いはあったが、せっかくの出会いなので、紙づくりの様子を見せてもらう。

日本の楮の繊維とよく似たような樹木繊維の乾燥したものを煮て潰している。
「これはどんな植物の繊維ですか?」と聞くと、紙を漉いている女性が「この木の皮よ」とすぐ後にある大きな木を指差す。「何の木?」と聞くと、ウーさんは「桑の木」だという。確かにコウゾはクワ科の木であるのだが、私が知るコウゾはこんな大きな木ではないので、ちょっと幹や葉の様子も違うような気がする。


別の欧米人グループが見学に来て、ガイドをしている白人女性は英語で「リンデンバウム」と説明している。ということは、これは菩提樹なのか?でも菩提樹にはクワ科のインドボダイジュとシナノキ科のボダイジュがあるとも聞く。ウーさんはあくまでこれは「リンデンバウム」ではなく「桑だ」というのだが、、、ちょっと正解はよくわからない。
このへんのところは、現地の説明だけではしっくり来る答えが得られなかったので、コウゾや桑に詳しい方にまたご意見を聞きたいと考えている。

 

紙の漉き方自体は、竹の紙やわらの紙と同じように、布を貼った漉き枠を水に浸けて、そこに紙料を溶かし広げていく溜め漉きだ。その中に赤い花びらを入れたりしながら、紙を漉きあげていく。
漉いた紙は、ノート風の冊子にしたり、竹の骨の傘に貼ったり、ときおり訪れる欧米人観光客用のお土産などに作られているようだった。

 

その後、時間は押していたが、ピンダヤの洞窟寺院というところに立ち寄り、夜8時頃にインレー湖に到着した。

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ピンダヤは、自然の鍾乳洞の中に数千体の仏像が安置されている洞窟寺院で、私たちは予備知識もなく大して期待していなかったのだが、迷路のような洞窟をどんどん進んでいくにつれ、そのすごい規模に圧倒された。
先日のボーウィン山といい、このピンダヤの洞窟寺院といい、ミャンマーにはまだまだ知られていないすごい名所がたくさんある。びっくり仰天だ。

2月11日 インレー湖の水上生活

インレー湖はミャンマー北部にある湖で、その地域の人々は、湖の中の浮草の上に家を建て水上生活をしている。浮草の上といっても、地面は結構しっかりしていて、家も建ててあるし、木も生えていて、畑も耕作されている。

 

ボートに乗って、インレー湖の暮らしを見て回る。湖上は風が吹き渡って涼しい。小舟が行き交い、漁や投網をする人々も見られる。あたりまえのように小さな子供だけで小舟を漕ぐ姿も見られる。畑にはトマトがたくさん実っている。天然の水耕栽培?で水やりの必要もないのかな。

家やホテルも建てられていて、すべての暮らしが湖上で成り立っている。ただ、上水も下水もそのまま湖上へ流れているので、人や観光客が増えるにつれ問題になっていくだろうが、、。

いくつかの浮島に上がらせてもらう。

蓮の繊維で手織りをしているところもあった。蓮の茎からフキの筋を取るように細い繊維を取り出し、つなぎながら糸にして、手織りをしていた。気の遠くなるような作業だが、日本の苧麻や芭蕉布なども同様な作業だから、昔はどこでも皆が身近にある素材を活かしつつ、そうした作業をして布を織ってきたのだと思う。

鍛冶屋、木工、漆、葉巻、銀細工など、どこも暮らしに必要なものを一から十まで手作りしている様子が見られる。もちろん元は生活必需品であるが、今はそれぞれ観光客相手にお土産を売っていて、ボートの漕手は観光客をそうしたスポットにつぎつぎ連れて行く仕組みになっているようだ。

湖上にはりっぱな寺院もある。訪れた寺院のご本尊は、みなの厚い信仰のおかげで、金箔をつぎつぎ貼り重ねられて原形を失い、まるで金の団子そっくりの姿になっていた(手塚治虫の漫画に出てくる団子マークそっくりだと思う)。1900年代の古い仏像の写真が飾られていたが、まったく面影がなかったので、ちょっと笑ってしまった。

こうした金箔をつくるために、すべて竹紙が必要とされているわけだから、竹紙の需要は当面十分にあるということなのだろう。

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ここは本尊の周りは女人禁制で、御本尊には女性が手を触れてはいけないそうで、T氏に代わりに金箔を貼ってもらった。

寺院の境内で一休みしたときに、ウーさんに人形を操るところを少しだけ見せてもらった。
ミャンマーでは、お寺での法要行事のときに一晩中伝統的な操り人形を演じる習慣があるのだそうだ。内容はお釈迦様の物語とかラーマーヤナとか、宗教的な物語が多いとのこと。
持ってきてくれたのはミャンマーのプリンスの人形で、手足、頭を10本あまりの糸で操る。日本の竹人形を見てもいつも思うことだが、人形遣いの手で人形が動き出した途端に、命が吹き込まれたように生き生きと動き出すのがすばらしい。

周りにいた外国人たちも、思わず近寄ってきて、ちょっとしたパフォーマンスの披露にもなった。
いつか一晩中人形が操られるという法要を見てみたいものだと思う。

午後にはウーさんおすすめの古いパゴダにも連れて行ってもらう。
バガンをつくった王様が同じ時代に建てた仏塔だそうで、すでに朽ちかけているものも多い。塔の中から木が生え、レンガは土と化し、人の作ったものが自然に還っていく様をみるようで、崇高さも感じる。

この日はボートから沈む夕日を眺め、1日インレー湖で過ごした。

→その7へ続く