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ミャンマー竹紙探訪の旅 その3

2月5日 竹紙づくりの家へ

朝9時、チョーさんが車を手配してくれて、マンダレーの郊外、ザガイン方向へ向かう。ドライバーさんの他、NORIKI日本語学校の卒業生でもあるガイドのロンロンさんも一緒だ。

マンダレーから車で1時間ほど走り、ザガインからさらに未舗装のガタゴト道を20~30分ほど走った農村に竹の紙をつくる家があった。


家族経営で、一家みんなで竹紙をつくっている。
ご主人、奥さん、、息子さん、娘さん、妹、おばあちゃんなど、みんなが集まってきて、私のつくった竹紙も見てもらう。

びっくりしたことに、彼らが言うには、私の訪問する15年ほど前にもアメリカ人の女性が竹紙に興味を持ってここを訪ねてきたことがあったという。その時の記念写真が家に残されていた。
そして、さらに驚くことには、その女性は、私が寺町二条でテラをやっていた頃、店に訪ねてきてミャンマー竹紙の話を教えてくれたアメリカ人男性のお母さんで、私もまったくそんなことは知らずにいたのだが、偶然にも数年前西陣テラでお目にかかり、たがいに紙談義におおいに花を咲かせたロナさんというアメリカ人女性だった。
入国後3日目に、突撃取材で訪れたミャンマーの片田舎の農村で、いきなり求めていた竹紙の郷に行きつき、ましてや15年間心に温めていた竹紙情報の提供者のお母さんと同じ家を訪れるなんて、何という偶然!なんて運命は不思議なんだろう!

ここに来て一番先に気づいたのは、またまた音だった。

どこから?と思ったら、家横の建物の狭い階段を降りた穴蔵のようなところで、8~10人位の10代前半くらいの女の子たちが、こん棒ですごい音を立てながら竹紙を叩き続けていた。

布と水を使って、「シカの木」と呼ぶ柔らかい木の棒で竹紙をひたすら叩く。
時々棒の先にココナツオイルを少しだけ付けて、また竹紙を叩く。
時々布で水気を拭いてはまた叩く。朝から晩まで叩くそうだ。

竹は、以前は近くのものを切って使っていたが、今は周りにはあまりなくなってしまったので、マンダレーの北の方から運んできているとのことだった。

 

 

紙料の作り方は、若竹を切って壺に詰め、溝を掘って木を燃やした上に壷をおいて茹でる。壷には若竹と石灰が入っていて、この壷を3年間置いておく。基本的に蓋をしておくが、時々雨にも当てる。

それを5日間煮て、水で洗い、粉挽きと同じように石臼で挽いて潰す。今は、石臼は動力も使っているとご主人が説明してくれた。

息子さんに紙漉きのやり方を見せてもらう。彼は16歳から27歳の現在まで、紙漉きをやっているそうだ。

 

紙料は小さなツボに入れて撹拌し、水槽に置いた漉き枠の中に紙料を溶かして、手で撹拌して伸ばしていく。木の棒で表面をなめらかに整えて、少しずつ水が切れるのを待ち、少しずつ静かに漉き枠を持ち上げていくのが微妙な技だ。

漉き枠には目の細かい木綿がピンと張られている。
干すときは、黒い綿布(巻きスカート・ロンジーの古くなったもの)で裏から水切りを2~3回して、枠ごと干す。
しっかり日に当てて干しあげたら、端からスイ~ッと剥がしていく。

均一な薄い黄色い色の竹紙が漉き上がる。

それを正方形に切って、叩いていくのが、先の少女たちの仕事なのだ。彼女たちは雇われている村の子たちなのだろうと思う。

この家では、キングガロンの他にも、金箔工房に2箇所ほど竹紙を卸しているそうだ。家構えはこの辺の農家としてはなかなか立派で、私がすこしばかり竹紙を購入させてもらった値段からしても、竹紙はまずまずの現金収入となっているのかなと推察した。

家の壁には、子どもたちの得度式(ミャンマーの男子は一生に一度はかならず得度をする習慣があり、これにはかなりのお金がかかるのだそうだ)の華やかな写真が飾られていた。

 

ご一家に茹でとうもろこしをごちそうになり、記念写真を撮ってこのお宅を後にした。

 

わらの紙づくりをみる

竹紙づくりの家から15分ほど行ったところに、わらで紙を漉いている家があると言うので訪ねてみた。こちらは素朴な農家である。

わらの紙は、稲を採った後のわらを干してから、50日間壷の水につけ、それを取り出して洗い煮る。柔らかくなったものをほぐし、それを足踏み式の臼でつく。

紙料には黄色い色の染料を混ぜる。
水槽に漉き枠を置き、紙料をとかし入れて水切りして漉きあげて干す。

木枠に張られた布は、大判の布巾のような綿布で、竹づくりに張ってあったものよりは目が粗い。ココナツオイルを塗って叩くといった工程はない。

パッと見ると、漉き終えたときは概ね似たような紙のように見えるが、明らかに竹の紙のほうが上等と捉えられているのがわかる。紙の値段も10倍ほど違うし、つくっている人のプライドにも差があるのを感じる。

昨日行ったキングガロンでも、わらの紙はたくさん束にしてクッションのように使われたり、出来上がった金箔の間紙に使われていたが、竹の紙は金箔が直接に接する部分の上下1枚ずつしか使われていなかった。

あぶらとり紙を考えると、金箔をつくる際に竹紙の吸湿性の良さが大きな意味を持つのかなと思えるが、ココナツオイルを塗ってあれほどまでに叩くのは、金箔を伸ばすときに丈夫で破れないようにすること、紙の密度を高めてなるべく平滑にして、金箔がむらなく薄く伸ばせるようにすること、などの重要な要素があるのではないかと考えられた。

これまで中国各地の竹紙、ラオスの少数民族の竹紙などをみてきたが、ミャンマーではそれらともまた違う用途と品質の竹紙に出会うことができた。

この日までに今回の旅の半分以上の目的が叶えられたのではないか、というような濃厚な1日であった。

その4に続く