日別アーカイブ: 2020年1月14日

ミャンマー竹紙探訪の旅 その5

2月8日 ローカルバスでモンユワへ

朝7時、ホテルを出てバスターミナルへ。8時のバスでモンユワへ向かう。
完全なローカルバスで、車内は補助席まですべて満席。シートも狭く、T氏と二人がけでもお尻がきついところへ、隣の補助席には体重100kgはあると思われるおじさんが座り、互いに肩をすぼめてちょっと斜めに座りながらの4時間の道のり。

すごい農村地帯を延々走ってモンユワへ。街はいわゆる地方都市という感じで観光的な雰囲気はなし。マンダレー同様バイクと車でごった返している。

ここに来た目的は、ここから少し郊外に行ったところに、実用的な漆工芸の村があると聞いていたから。タクシーを頼みチャウッカに向かう。
ここは木材産業も盛んなところで、道端には大木の街路樹が並んでいる。街路樹の木陰には、誰でもが水を飲めるように、水の壷とコップが置かれているのも見かける。木材の集積所も所々にある。

途中、地元の寺院に立ち寄る。
外国人など訪れることもなさそうな地元の寺院だが、ミャンマー人の参拝客はいっぱいだ。

その信仰心の厚さには驚かされる。寺院の入口で靴と靴下を脱ぎ、裸足で寺院に入る。老若男女誰もが床に座り、祈りを捧げる人であふれている。仏像に金箔を貼っている人も大勢いる。仏様は金箔をつぎつぎ貼られて金ピカでコテコテになっていて、ちょっと笑えるが、それでもその祈りの心には打たれるものがある。

バガンの街は、昔の人々が建てて今に残る遺跡で、それはそれで素晴らしかったが、ここはまた異なり、現代に息づく人々の祈りの心と生きる熱気にあふれている。

寺院の門前は、まるで浅草の門前市のようで、野菜や果物、お菓子、雑貨など所狭しと売られていて、お参りに来ることが楽しい旅でもあった昔の日本の姿とも重なるようだった。ここに立ち寄ってよかったなと思った。

 

漆工房にて
チャウッカの村にある漆工房を訪ねる。
働いているおじさんが丁寧に作り方を説明してくれる。と言ってもほとんどミャンマー語のみなので、詳しいことはわからないが、作る工程を見ながらなので、大体はわかり合える。

面白いのは、木地の作り方。
日本では木を削りながらベースの木地を作ってそれに漆を塗っていくが、こちらではほぼすべて竹でひごを作り、ベース(竹地?)をつくっていくのだ。


細く割いた竹ひごをぐるぐる巻き込む形で、茶碗も皿もベースが出来る。それに漆を塗っていく。
バガンのものはデザイン的にもちょっとおしゃれで装飾的なものが多かったが、こちらは籠や茶碗や頭にかぶる傘など、おおむね実用本位なものが多い。

驚いたのは、漆を塗っている様子を見せてもらった時、おばちゃんが手をベタベタにしながら、素手で漆を塗っていたこと。私など手のどこかにちょっとうっかり漆が触れただけでもかぶれることが多いので、その光景にのけぞりそうになる。
「そ、そんなに手で触って、だ、大丈夫なの?!」と思わず日本語で声をかける。
おばちゃん、ニッと笑って「な~に、こんなの洗えば大丈夫よ」とミャンマー語で返してくれた。

工房のおじさんが「そうそう、前に日本人が来たことがあるよ」みたいなことを言って、奥の部屋から何かを持ってきた。覗き込むと、それは名刺で、なんとそれはテラで毎年木工の作品展を開いておられるかつみゆきおさんの名刺だった。ご丁寧に名刺には写真も印刷されていて、にっこり満面の笑みを浮かべたかつみさんの顔写真と思いがけず対面した。
まあ、かつみさんからは、2年ほど前にこの地域でミャンマーの漆を買ってきたという話は聞いていて、だから私もその地域を訪ねてみようと思ったのだが、まさか、行き当たりばったり訪れた村の小さな工房で、かつみさんの名刺を見せられるとは、世界は案外狭いのか?

 

2月9日 ボーウィン山の磨崖仏

モンユワからチンドウィン川を下り、車で1時間ぐらい走った山の中に、ボーウィン山という磨崖仏の寺院があると聞き、そこへ向かう。
山全体が神格化されていて、その中にいくつもの洞窟寺院や磨崖仏が点在している。一体誰がどうやってこんな山の中に寺院をつくったのだ?!世界遺産になってもおかしくないようなこんなすごいところが、山奥にひっそりあるなんて!!と驚愕する場所だ。

勝手に見て回ろうかなと思っていたのだが、地元の若い女の子が有料ガイドを務めてくれると言う。いつもはそうした誘いには乗らないことが多いのだが、ふとそれもいいかなと思い、OKする。

彼女の名前はカイマ。この地で生まれ育ったという。高等教育を受けたとは思えないが、英語はなかなか上手だ。
しかも、ここは彼女にとって庭のような場所らしく、どこにどんな磨崖仏があるかもよく知っているし、歴史やそこに描かれている仏画や壁画の内容まで、詳しく説明してくれる。
ここには磨崖仏が40万体もあるのだそうだ。

山にはニホンザルそっくりの野生ザルが生息していて、時折餌をねだってついてくる。
ここには4グループの猿がいて、ボス猿が統率しているの。ほら、あれがボスよ、と教えてくれる。嵐山のモンキーパークみたいだ。

カイマと一緒に山を上り下りしながら、いくつもの崖や洞窟に彫られた磨崖仏を見て回る。

ある壁画には、お釈迦様の一生を描いた絵が描かれていた。
カイマが話す。
「お釈迦様はね、プリンスとして何不自由のない暮らしをしていたの。お金もある。お世話をしてくれる人もたくさんいて困ることもない。でも、毎日が退屈で退屈で、生きる目的もないの。彼は旅に出た。たくさんの人に出会い、いろいろな修行をしたわ。それでも何か納得できない、、。ある日彼は菩提樹の樹の下に座り込んだの。ずっとずっと座っていたわ。自分の人生や生きる目的はなんだろうって考えながら。そして、そこでとうとう悟りを開いたの」
彼女なりの解釈だったかもしれない。でも、彼女の語る物語は自分のことを語るように自然で、自分の中に溶け込んだ物語を語るようで、私はなんだかちょっと感動してしまった。これまでに誰かからこんなふうにブッダの一生を語ってもらったことはなかったなあ。

この土地に生まれ育ち、今もここに暮らす彼女にとって、この山は愛すべき自分の場所だ。だからこそ、そのガイドにはとても説得力がある。
釈迦の悟りの話、ここに寺院をつくったキングの話、「ほら見て、この仏様、すごく美人でしょう?」「さあ、ここが一番私の好きな景色よ!」そんなふうに案内してくれた小高い崖の上は、見晴らしが良く、周りの集落がよく見渡せた。「あそこが私の生まれ育った村なんだ」

生き生きと語りながら案内してくれるカイマをみていて、彼女にガイドを頼んでほんとに良かったなと思った。ミャンマーって公の学校教育がなかなかいいのかも。
「さあ、ここからは私のお気に入りの寺院の始まりよ!」

私達は時がたっても互いを思い出せるようにと一緒に写真を撮った。
帰る前、私が彼女の英語力やガイド力を褒めると、彼女はちらっとつぶやいた。
「ホントはね、私、できれば自分と同じようなブラウンカラーじゃなく、もう少し色の白い人種と一緒になれたらいいなあと思うこともあるの。でも、美人じゃないし、きっと無理だと思うけどね」
カイマ、あなたは賢いし、今のままで十分に生き生きと魅力的。自分の生まれ育った場所に誇りを持って、しっかり前を向いて、これからも自分の道を進んでいってね!心からそう思った。

その6へ続く